2007年 7月16日  オオルリのかーちゃん (主記事・釣行記 2007/07/08)

田茂谷の下流を終えて、林道を歩いていると、ヒリヒリーと野鳥の鳴き声がする。みれば、黒い背中に白い腹。鳴き声から、「サンショクイ」じゃないのか?それも2羽いる。「サンショクイ」は図鑑でしか見たことが無いが、黒い背中に白い腹、名の由来は、その鳴き声から、山椒を食べてヒリヒリーと言って鳴いている。という事で、サンショクイ(山椒食い)となっているが、本当に山椒を食べるわけではないようだ。だが、もう少し、サイズ的に大きいんじゃないか?という疑問もあったけど、とにかく、車に戻って、双眼鏡と望遠レンズをくっつけたデジイチを持ってきて、のぞいてみたら・・・

それは、どうも、オオルリの若鳥らしい。最近巣立ったばかりのようで、2羽の他に、母親がいて、彼らに、餌をあげようと、しているみたい。

オオルリの若鳥は、あちこちすぐ動き回って、なかなかじーとしてくれないが、母鳥はバッタをくわえて、じーとしていたので、なんとか撮すことが出来た。

PENTAX K100D +TAMRON 70-300mm+テレコン1.5倍

2羽の若鳥は雄のようで、時々背中のブルーが美しく輝く。まさに瑠璃色、オオルリとはよく言ったものだ。

母親は若鳥を追いかけはじめたけど、遊びに霧中の若鳥は母親に近づこうともしない。エサの捕り方とかも、これから教えるのかも知れないなぁ。最近の日本の若い母親より、野鳥の親の方が、立派なのかもしれん・・・。

 

ahiru_da_photo  2007/07/16


     

2007年 7月8日  イサブロウ地蔵 (主記事・釣行記 2007/07/08)

その郷では、伝説の釣師と呼ばれているイサブロウ。悲しい訳があって郷から離れて、ひとりこのアヒル谷に庵を構えて、隠居生活をしていた。それはまだ40年ほど前の話・・・。今でもイサブロウが住んでいた小屋の名残はある。郷のなかでも、腕前に自信がある者は、イサブロウと、釣果を競ったが、誰もかなわなかったそうな。イサブロイは釣ってきた魚を白鳥の旅館に卸してタバコ銭にしたり、大好きな酒と交換したりして、悠々自適に暮らしていたそうな。

イサプロウの庵には谷から水を引いて、小さな池が作ってあって、釣ってきたイワナやアマゴが放してあり、時々、放流しに出かけていたらしい。「あの谷のよ、滝から上はアマゴはおらなんだ(いなかった)が、イサプロウがアマゴを入れたんで、今ではアマゴが釣れる」なんていう話も聞いた。「オレは、その池の魚にチョッカイを出して、えろう、イサブロウに怒られた」と、ひでみ氏はなつかしそうに語る。

郷からイサブロウの庵までは、ひと尾根越さなくてはならない。それほど険しくはない峠越え。ある冬の日、イサプロウは、峠の途中で倒れているのを発見されるが、すでに三途の川へ釣りに行ってしまっていた。心臓発作か脳出血か?

それからしばらくて、その場所に縁者が地蔵を建てた・・・イサプロウ地蔵である。

しかし、代がかわっていけば、この地蔵も忘れられていくだろうなぁ・・・。

PENTAX K100D +Carl Zeiss  Jena  DDR  Flektogon 2.8/35mm 

 

ahiru_da_photo  2007/07/8


     

2007年 7月1  一色 (主記事・釣行記 2007/07/01)

一色川は、高低差もなく、なだらか。大きな淵もなくて、滝もない。普通、勾配がきつい場所があったり、ゴルジュがあったりするものだけど、なんか、ずーと、同じ様な渓相で、やりやすい。この川と同じ様な感じの川ってあまりないように思う。

一色という地名も珍しい。室町幕府4代目の頃、1470年くらいか・・。一色義直がこの地にやってきて開墾し部落を作ったそうな。一色一族は室町幕府の重臣の1つで、各地に一色一族の伝承がある。三河の一色町なんてーのもそうかもしれん。

10年ほど昔、この地方の、民話や言い伝えに興味があって集めていた時期があった。

一色の奥に、かつて部落があって、盆踊りをしていた時、裏山が崩れて、部落の者、全員埋まってしまった。その後、盆踊りの頃になると、一色の山の中で、盆踊りの太鼓を叩く音がする。

なんてーいう話を、古老から聞いた。

柳田国男の遠野物語などによく出てくる、「天狗の太鼓」という深い森の怪現象の事だろう。と思った。森の中で、誰かが太鼓を叩く。テンツク・テンテンというお囃子のような感じらしい。へー、一色にもそういう話があるのか?と感心したが、あとの盆踊りの最中に裏山が崩れて・・・・というのは、付け足した話だろうと思っていた。

ところが、最近、本当に一色には部落があって、山が崩れて、部落の者全員が生き埋めになった。という事実を知る。

それは天正13年。ちょうど豊臣秀吉が関白になった頃らしい。西暦で言うと1586年。11月。この地方を震源とする巨大地震が起きたそうな。東海地方や近畿地方まで被害が及び、功名が辻で一躍有名になった、山之内一豊の長女も屋敷の下敷きなって亡くなっている。大白川入り口付近ににある、三方崩れはこの時の山体崩壊の跡だし、御母衣ダム下流の帰雲城跡という、例の埋蔵金伝説のある場所も山体崩壊によって、城と城下町が一瞬にして飲み込まれて、城にあった黄金も土中深く埋まったそうな。

一色の部落があったところは、ちょうど一色スキー場の場所らしい。山体崩壊で崩れたあとは、なだらかになるので、スキー場に適しているのかもしれん。ゲレンデと、駐車場の境のあたりに、塚があり、そこに慰霊碑が建っている。

PENTAX K100D + SIGMA 18-200mm  F3.5-6.4

420年前。ここに部落があって巨大地震によって裏山が崩れ、村民20数名が生き埋めになった。たぶんあちこちで山体崩壊が起こって、土石流が発生。一色川がなだらかなのは、土石流で一旦埋まったからかもしれない。

太古から変わらぬ自然・・・なんてーのは、ウソで、たえず山や渓流は変化している。その一瞬を見ているに過ぎないのだろう。

余談だが、明宝スキー場があるところも、この天正大地震でやはり山体崩壊が起こったところらしい。それでもって、やはり部落が飲み込まれ、こちらは生き残ったのは、老婆一人だったそうな・・・。

ahiru_da_photo  2007/07/01